由 来
大俵引き行事の起こりは、今から約四百年前といわれ、この当時会津の地を治めておられた蒲生時代に坂下の繁栄を図るため、現在の役場付近を中心に東西八丁二十四間(約九百メートル)の町割で市が許可され、翌年から毎月四の日と九の日を市日と定められました。そこで坂下の場合は年の始めの正月十四日の市を初市と名づけ、その際市神様をまつり市神様の前で大俵引きの行事を行ったのが事の始まりといわれております。
坂下の初市は、下帯一つという特に勇ましい姿で十五才から六十五才までの大勢の人達が、上町即ち東と下町即ち西に別れ寒風積雪の中で大俵を引き争い「上町の組が勝ったときはその年の米の値段が上り、下町が勝ったときは豊作になる」と年の始めに米の相場を占ったと伝えられており、大俵引きの勇ましさは到底言葉では言い表せないほど盛んを極め、若松のお城の偉いお侍の方々が大勢見物にこられるなど、見物人は人垣をつくって声援したという事です。 |